Osaka
大阪市は阪神高速環状線(Kanjo Loop)10.3kmを舞台とする「環状族(Kanjozoku)」という反逆的ストリートレーシング文化の本拠地として、日本モータースポーツ史に特異な地位を占める。1970年代後半から続く「時計回り一方通行の高速ループ」での違法レース—ナンバープレート外し・窓網掛け・マスク着用で匿名性を確保し、警察との追跡劇を繰り広げた伝説は、2024年現在も「地下で継続」する。大阪の労働者階級若者が「レールに乗った人生への反抗」として選んだ環状線は、東京の展示文化とは正反対の「走ることが全て」哲学を体現する。
環状族の車両は徹底的に軽量化されたホンダ・シビック(EG6/EK9)が中心—内装撤去・バケットシート・ロールケージ・NA B16Bエンジンチューンで「公道仕様サーキットマシン」を作り上げる。阪神高速の狭い車線・急カーブ・高架橋の継ぎ目という過酷環境が「タイトコーナー立ち上がり加速」技術を磨く道場となった。チーム毎のステッカー・スローガン・カラーリングでアイデンティティを主張し、一部は暴力団とのつながりも指摘された。大阪府警の取締り強化(車両没収・逮捕)で多くが離脱したが、「伝統を守る」残存グループは現在も月1〜2回の深夜走行を敢行—かつてのライバルチームは団結し、「環状族の歴史を消させない」共闘関係を築いた。
大阪のモータースポーツ文化は「反権威」「労働者階級の反乱」「東京への対抗心」という3要素で構成される。東京が「金持ちの展示会」なら、大阪は「庶民の実戦場」—中古シビック30万円から始められる環状族の門戸は、富裕層排除の意図的設計だ。鈴鹿サーキット(近鉄特急で1時間半、車で100km)へのアクセスは東京より圧倒的に良好だが、「サーキットは金がかかりすぎる」という経済的理由で環状線を選ぶ層が存在する。1周10.3kmを2分台で周回する違法タイムアタックは、鈴鹿走行料2万円/日を払えない若者の「貧者のサーキット」だった。
環状族文化は「匿名性の美学」を重視する。ナンバープレート無し・VIN削除・窓網・マスク着用で「顔も身元も明かさない」徹底—逮捕されても車両追跡を困難にする工夫が、半世紀にわたる猫と鼠ゲームを可能にした。大阪の中央区・北区・浪速区・西区を一周するループは、深夜2〜5時に「一般車両がほぼ消える」時間帯を狙う。現在は監視カメラ・自動ナンバー読取システムが配備され、「昔のように毎週は走れない」状況だが、完全に消滅していない事実が大阪の反骨精神を物語る。
鈴鹿サーキットとの関係で言えば、大阪は「合法サーキット」への最も近い大都市でありながら、「違法ストリート」への執着を手放さない矛盾を抱える。近鉄特急「しまかぜ」で白子駅まで1時間半・片道3,000円という利便性—東京の富士通い(片道2,000円+90分)に匹敵する好条件だ。しかし「鈴鹿は1日2万円+宿泊費、環状線は燃料代とリスクだけ」という経済格差が、階級分断を生む。中流以上は鈴鹿へ、労働者階級は環状線へ—この棲み分けが大阪モータースポーツの階層構造を明確化する。環状族の多くは「いつか鈴鹿を走る」夢を持ちながら、現実には環状線で人生を終える。その悲哀と反抗心が、大阪ストリートレーシングの魂を形成している。